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22 November

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26 January

英香ちゃん日ウィークリー

英香ちゃんの日なので、折角だからこの日に関係するおさらいみたいなものをアゲときます。
文章ところどころに「諸説あるけど」が付いてると思って読んで頂けると幸いです。


26日は英国軍が香港島に上陸して占領をアピールした日。

あへん戦争といえば、英国が策略的に清を追い込んで計算通り、ニヤリ…笑うイギリッさんを思いおこしますが、実際は不器用に清にケンカ売って必死だったイギリっさんがそこにいた。

って事実に気付いてから、私は英側視点のアジア沼にどっぷり浸かるきっかけになりました。
清国も、文明に置いてかれて弱々しい清国は結果の後。この時期は西欧に対してもドヤ顔で、内面が腐敗には不在意☆でした。あー、あへんがそろそろ国内に蔓延してやばいある―。ってことで国内アヘン取り締まりキャンペーンを開催したのが事のきっかけ。

教科書で有名なあへん戦争のあの絵。
"中国船が多量にあるのにイギリス船は1隻のみ、これは物量よりも技術が勝っているという当時の絵の象徴"の図の船、って教わってることがあるかもしれません。
これも実際は英国の中でも弱小軍艦ヒヤシンス号。英「相手の船数大杉。これも死ぬかも(^0^)/」
清国に勝てると思ってなかったって状況だったらしいと、某掲示板で知った時は胸熱になりました。

ヘタリア的にするとこんな感じ。


先も述べたように、事の始まりは英国の不器用な外交であったため、英国は清国から、唯一の国際港広州、そしてマカオを締め出しにされたため、英国商人たちは兵糧攻め状態になってました。英清の貿易再開が優先だった貿易監督官のチャールズ・エリオットはスピーディに英国の要求をのんで貰いたく、例の教科書で有名な絵の戦争の後、清側の琦善(キシャン)に「占領中の舟山を返還し清側は賠償金・開港・香港を割譲ってことでどうでしょうか?」「わるくないアルね!」「これでお互い事を円滑に済ませましょう!」と1月20日に条約をむすんだ、これが川鼻仮条約。本人たちは円滑だと思われたこの外交は、英清両上司に結果がショボイ!とひどく怒られ、条約はいったん棚上げ、エリオットも琦善も解任、国家レベルとして本格的に戦争に。→翌年1842年8月29日に決着→南京条約にハンコ。

そんなわけで英領香港が誕生します。

川鼻仮条約からすでに項目に入ってた香港割譲。
「香港」を欲しがった理由は、現在でも香港で有名なJM商会が、あへん戦争開始前からこの土地欲しい!いい子見つけたよ!!と推し推ししてた件を参照させて頂きます。

1841年1月26日のこの日の上陸から早速香港島の都市開発が始まってるので、この日を誕生した日と言ってもいいんじゃ無いかなーと思ってますが、実質的には「占領された日」なので、香くん的にはOKでも、にーに的にはお祝いって訳にはいかないんだろうな。

追記:地元の人は1月26日を香港の誕生日って支持してる人をちらちら見かけます。

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