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November
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トラムの歴史
引用元 http://www.hongkongnavi.com/miru/9/
1841年のヴィクトリア港開港以降、香港の人口は増加し、1881年には既に60,400人に達していました。しかし、この当時は馬車と人力車、それにセダンチェア(籠のことです)などといった簡易な交通手段しかなく、増大する交通需要をまかなうことができませんでした。そこで、当時の立法局が電車システムの立案を行い、翌年、香港政府は「軌道建築条例」を公布し、その中で6つの電車路線を提議しました。そのうちの5路線が現在のトラム路線であり、残りの1路線はピークトラムとなっています。沿線に政府高官などの富裕層が多く住むピークトラムは1885年に着工し、香港第一号の公共交通機関として1888年に開業したのですが、香港島北部をカバーするトラム路線についてはその後もしばらくは放置されていたのでした。
1901年8月、ようやく香港政府は「香港電車条例」を発布し、「香港電車電力有限公司」がロンドンにて設立されました。そして1903年に着工し、その後1904年7月30日に開業を迎えたのでした。
ダブルデッカーの車両が導入されたのは1912年です。最初は2階に屋根がなかったのですが、翌年にはキャンバストップ(帆布製の屋根)が取り付けられました。現在のような密閉式になったのは1925年のことでした。
1941年、香港が日本に占領された時は、トラムの運行が停止してしまいました。完全復旧したのは戦後の1946年8月のことでした。
1972年、それまで存在した等級制度が廃止され、1等と3等で車両が分かれていたのが一本化されました。以前は、1等の電車がきても中国人は乗ることができなかったのです。
1970年代末には、現在の地下鉄港島線の計画が進行し、市民の多くはトラムが廃止されると予測されていました。が、1984年に香港電車公司(トラムの運営会社)が調査したところ、地下鉄のサービスがトラムを完全に置き換えることはできないという意見が大勢を占めたため、トラムの存続が決定しました。トラムは、気軽に使える庶民派の乗り物として、市民に、観光客に、今でも愛され続けているのです。